おにいさんの手帳

ブラック企業のオーナーを辞めて職探ししてるところから始まります

ひっこし

引っ越しをするので契約をしに行きました。契約主は彼女で僕は同居人という形。その書類に「婚約者」と書かれているのが目に止まり、少し笑ってしまいました。そんなこと1回も言っていないのに客観的に見てそう見られる立ち位置なんだなとも思いました。

 

一応、彼女の親には「結婚を前提に」ということになっているわけです。ならなんで私♂が契約主ではないのか?と問う人もいるのではないかと思います。答えは「なんとなく物の話の流れでそうなった」というほかありません。

 

結婚を前提にするならば「なぜ男でなくてはならないのか?」

 

社会全体の傾向として「男」が「家」の「長」という発想が前提になっているのでしょう。残念ながら私は「契約」にすぎず「2人の人間」が「対等」にという前提に立っています。

 

「家」に関しても”新たな戸籍を作る”のだから「嫁入り」「婿入り」というのを前提にした価値観は理解はしていても受け入れようとはしていませんし、実際末っ子長男というただ1人の継承者という見られ方をされがちな立場でありながら、苗字は彼女のものを名乗りたいと早々に伝えていました。が、今のところ相手も「今の苗字を変えたい」ということなので、私は苗字を変えない見込みです。

 

性別によって能力差や向き不向きが生物学的に発生するのは事実だと思います。アスリートのリザルトを見れば明らかです。それは特性や傾向であって、やはり規定されるものではなないと思います。地位や出身や性別に影響を受けながらも最終的には1人格がどう思うか。それが問題ですよね。

 

というわけで、僕はホモセクシャルだろうがなんだろうが「あぁそうなの」程度にしか思いませんし、逆に「~というものはこうでなければならない」と言っている人の根拠が分からない。

 

ただ、まぁ、全ての個人の人格を尊重ししなければならないという「しなければならない」にはまっているあたり、同じムジナに過ぎないのかもしれないけど。