おにいさんの手帳

ブラック企業のオーナーを辞めて職探ししてるところから始まります

アタック沖縄本島

2015年の6月29日、沖縄を自転車で1周した。といっても正確には3/4周だ。

距離は300km 14時間半 登った高度は3200m弱

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ここまでならありふれたファストランの記録だ。ただ違うのはこれが社員旅行中に抜け出してということ。さらに違うことは、自分の会社だっていうこと。そう、会社の跡継ぎがふらりといなくなったのだ。

 

事の始まり

2014年の冬頃、社内アンケートを取り旅行先が沖縄に決まった。普通、アンケートをとったら得票数が多いところにいきそうなものだが、ワンマンブラック企業である弊社はアンケートをとるが結局は社長の行きたいところになる。というわけで、沖縄なのである。

 

今回は「自由行動がメイン」ということで、私は額面通りに頂戴した。ありがたいことだ、普通のツアー系なら僕は「立場」ということで常に同行しなければならない。社員たちにとっては気ままな旅行でも、僕にとっては苦痛でしかないのが行事というものだ。だが今回は自由。

 

社員全員に、安全等の為に配られた各個人の旅行計画。それに沖縄の地図をプリントし、休憩場所を設定、何時スタートで各地点の通過タイム等を記入して提出した。周りから止められると思ったけど、社長が「息子はスゴイな!」と笑っていたもんだから問題なく僕の沖縄ライドは承認された。

 

旅全体は2泊3日

1日目は那覇から最南端のひめゆりの塔等の観光、宿泊は中腹の恩納村

2日目は自由行動。宿泊地が那覇市街地と変わる。

3日目は午前自由行動で午後は帰路。

 

2日目の宿泊地が違うというのに目をつけ、恩納村那覇を自転車で移動しようというわけだ。遠回りに。

 

さあ、沖縄へ行こう。

持っていくものはいつものファストランの装備。

薬類、輪行袋、タイヤレバー、チューブ2本、CO2ボンベ2個、空気入れ、サイコン2つ、雨具、ライト2つ、ヘルメットカメラ1つ、テイルライト1つ、反射ベスト、塩タブレット、ドリンクボトル×2、クリートカバー、クレジットカード、現金。

 

飛行機輪行ディレイラーだけ外して、緩衝材をいれれば国内では丁重に扱ってもらえる。自分が使っている輪行袋は業界最軽量で薄さは酷いものだが、全く損傷もなかった。

 

社員旅行なのに45リットルのリュックを背負って、肩に自転車を担いでいる光景は明らかに可笑しかっただろうが、そんなことはどうでもいい。取引先の業者のみなさんも声をかけてくれるがそんなことはどうでもいい。沖縄で走ることだけを考えていた。

 

高崎からバスで羽田に付き、そこから飛行機。数時間のフライトで沖縄。沖縄に付くとメチャクチャ暑い。暑いのはいいとして湿度が想像より遥かに高い。事前に聞いていた話だと、沖縄は湿度が低いということだった。が、まるでこれは京都だ。嫌な予感がする。

 

1日目のバス観光は外国人労働者たちと周った。(自転車の運搬をいつも手伝ってくれた) 日米の激戦地である沖縄の資料館を見ているとき、彼らはインド系イギリス植民地のルーツである、今はアメリカについてどう思っているかを聞かれた。あまり聞かれない質問だし、基本的に彼らとは英語で会話をしている。言葉がうまく思いつかず、答えられなかった。彼らの国はつい最近まで内戦状態だっただけに、より言葉に詰まった。

 

ディナーは恩納村のホテルのビーチで宴会。そこそこに楽しく飲んで、皆への接待もそこそこに引き上げ、室内で自転車を組み上げた。前日も4時起きだったし、翌日も4時半起きだ。6時間も睡眠がとれない。苛つきながら勢いよく睡眠導入薬を口に入れ眠りについた。

 

朝4時半ごろに目が覚めた、まだ真っ暗だ。ホテルを出てコンビニで朝食を食べて、5時半にスタートをした。真っ暗なのに25度。それよりも気になるのは湿度で聞くと湿度が高いのは沖縄では珍しいことだとか。悪い日に当たったが、仕方がない。

 

体を慣らしながら北上する。風は追風、信号もない。左側にはずっと海が広がる。美ら海水族館の前を通り、43km地点のコンビニで休憩をする。こういう日取りでは無理は禁物だ。水分を十分にとりリスタートする。

 

途中、古宇利島という島につながる橋に寄り道した。長さは1kmはある橋が海の上にまっすぐ通っている。瀬戸内海を旅した時の橋とは違い、細い線が1本通ってる風で何ともいえな不思議な光景だった。今回、唯一入れた「観光」はもう終わってしまったのだ。

 

北上の旅は順調に続く。追風はまだ続いていて、気温は30度と高いけど心拍は落ち着いた状態で30~35km程度で走り続けることができた。2回目の休憩場所としたコンビニまでスタートから76kmを3時間弱で走り抜けた。まだ8時半。いいペースだ。

 

ただここから先、次のコンビニまでは110km何もない。調べた限り、地域の売店が2~3か所あるようだけど、どの程度営業しているのか分からない。自販機はあるのをストリートビューで確認していたので110km分の食料だけを買い込んでリスタートした。

 

さらに北上を続け、ついに沖縄最北端の辺戸岬めがけて200m登る。見る限り、海と草原と岩山しか見えない。本州にはない南国の草原だ。岬というと達成感を感じるものだが、見通しは悪くて特別な感情は無かった。

 

岬を登った分、下る。北上したら、南下する。

 

沖縄の北面は草原という雰囲気だったのに、南面に回ったら今度は鬱蒼とした密林という雰囲気になってきた。さらに悪いことに50~100mのアップダウンが続く。まだ9時なのに気温は30度で密林。温度以上に体に熱がこもっていく。さらに悪い事実を食わると、向風になった。ただの向風じゃない、高温の湿った海風だ。

 

幸運なことにやや曇っていて直射日光は避けられたけど、暑いものは暑い。坂を下りきったところで、半袖インナーと日焼け対策にしていたアームカバーを取った。ただ、面白いこともある。

 

最後に車が来たのはいつだったかなと思いながら丘を登っていると鳥がいる。ぼーと眺めながら通って気づいた、ありゃヤンバルクイナだ。ヤンバルクイナは沖縄の珍しい鳥。似た見た目の鳥がいるから気を付けてと言われたけど、ヤンバルクイナに違いない。最初は珍しがっていたんだけど、ちょいちょい現れる。珍しいんじゃないのかヤンバルクイナ・・・。次第に無関心になって行った。

 

かなり状況に嫌気がさしてきたところで安波という集落が見えた。

さっきのコンビニから50km、スタートから120km。時間は10時45分。買い込んだご飯を食べながらサイコンをチェック。一気にペースは落ちていた。次のコンビニまではあと60kmもある。ゴールまではまで180kmぐらいある。帰ろうにもここには電車もバスもない、とりあえず、いくしかない。

 

向風は、容赦ない。走り始めたものの、海岸特有のアップダウンが続く。もちろん、暑い。段々と心拍数自体が上がっていくけど、ペース自体は上がらない。気温もずっと変わらない。

 

ただ、風景だけは変わっていく。密林の低いところ、密林の高いところ。低いところでは川や海辺でマングローブのような風景が楽しめる。高いところでは一面に広がる森林に山々。たまに現れる生き物。ただ車やバスで走るのでは分からない風景や感触を楽しめる。つらいけど。

 

そんな森の中で突然看板が立っていたりすることがある。「この先座り込み中注意!」と書かれていて、最初よくわからなかったけど、注意と書いてあるから減速した。しばらくすると文字通りに何十人かが横断幕なんかと共に座り込んでいるのだ。

 

ただの森のように見えてこの辺りは米軍基地があり、分かりにくかったけど基地入り口があるようだ。平日のこんな暑い時間から、密林の中にいるのは結構シュールである。誰も通らないからアピールにもならないんじゃないか?と思ったけどプロは違うんだなぁ。それ以外にも、時より見えるフェンスに基地反対の横断幕があったりして、そういう意味で沖縄を感じさせてくれた。

 

途中、自販機でジュース休憩を1回入れて、予定のコンビニにたどり着いた。

集落から58km、スタートから180km地点。13時45分頃。米軍のキャンプ・シュワブの目の前で、例にもれず基地前の座り込み隊に応援を受けての到着だった。コンビニの冷房を丹念に浴びる。この日初めての座っての休憩だった。

 

暑さと山岳でやられきっていて、もうやりたくないと本気で思ったし、危険なことに熱中症の症状を感じていた。コンビニの前でしばらく休むことにした。15分ぐらい体を横たえた。ただまぁ、こんな野外で休んでもなんにこともないのよね・・

 

再スタート

 

山岳ゾーンは終わったものの、定期的に現る丘と強まった向風にペースは上がらない。考えることも単調になってゆく。残り距離とペースを見ては到着時間を予想し続ける。19時ゴールを狙っていたけど、どうにも無理そうだ。

 

風景は密林から市街地へと変わり始めてきた。

 

地形で失ってきたペースが今度は信号と渋滞で失うのに切り替わった、時間は夕方に近づき交通量も増えている。風は強烈になった。市街地で風が弱まるかと思ったのを見事に裏切ってくれる。また登り、下りは風速度が出ない。ふと先を見ると雲がある。経験で雨雲なような気がして、レーダーを見ると雨雲だった。

 

沖縄の道路は貝殻や珊瑚が混じっている。ドライの時は問題ないけど、雨が降ると極端に滑り易くなる。幸運なことに、たどり着いた時には雨雲は去っていて、路面も暑さで乾いていた。

 

うるま市を抜け、沖縄市に入った。沖縄市那覇市って別々なんだなーとか、ここが激戦地あたりかーとか、工事看板に英語がかいてあるーとか疲労困憊の中、ぼけっと思っていると道路標識が見えた。

 

[↑南城市 →那覇市25km]

こんな具合だ。これほど迷ったことはない。ルートは真っすぐだ。時間は16時頃だし、今右に曲がればのんびりと沖縄の夜を過ごせる。残りは60km以上あるんだぜ? この先行く場所は昨日のバスツアーでも行った場所だ。いかなきゃいけないってこともないじゃないか!

 

ココロが言ってくる。でも、後悔するよね。この誘惑を振り切った。

 

悪魔はしぶとい。この道を南下する限り、常に那覇は右にある。何度も何度も、道路標識は那覇への最短路を案内した。何度も何度も・・。

 

キャンプシュワブから60km、240km地点。17時10分。与那原町のコンビニで休憩した。悪魔を振り切り、150kmぐらい続いてきた向風にも耐えてきた。あまり食欲もないものの、どうにかご飯をぶち込んだ。フェイスブックを見ていると、よく行くお店の店長が入籍したようだった。

 

一人で疲れ切っているときにそんなことを知っても、そんなことと思うことしかできないのが人間の本音というもので、むしろ-感情のほうが出てくる。嫌なものだ。十分に汗で酷い有様になった体をストレッチして、リスタート。

 

残りは50km 20時を目指そう。

 

まだ、南下は続く。沖縄最南端の平和記念公園ひめゆりの塔に近づくにつれて徐々にっ町が無くなって平原が広がってゆく。ずっと海岸線なのでアップダウンも続く。ガーミンを見ると、この地形はちょうどひめゆりの塔で終わるようで30kmも走ればいい。風は相変わらずで、気温も夕方というのに落ちる気配がない。

 

南城市を抜け、糸満市に入った。昨日来たひめゆりの塔の横を通り抜ける。徐々に進行方向が北に映り、ついに真北に進路が向い追風となった。データを見る限り登りもほぼない。安堵感に包まれた。残りは15kmと言ったところだろう。同室の同僚からキーはフロントにあるという電話を受け、それにポジティブな返答をした。もう終わったようなものだ。

 

日も落ち、念のためにヘルメットカメラを装着した。

 

事前に登録したルート通りに北上する。おや・・自転車進入禁止。しまった。

困ったことに、ゴールまで10数キロというところでルートを見失うことになった。スマホを開いて調べてみると、那覇周辺は他にコレと言った主要道がなく、細かい道を乗り継ぎ乗り継ぎいくしかないようだ。しばらく考えて、ガーミンにホテルの位置を登録して、ガーミンのナビで行くこととした。

 

ガーミンのナビは現実的ではないことが多い。迂回してみたり、路地を入ってみたり。高温多湿の夜の那覇市街地を20キロ後半で進む。道も狭く、信号も多い。グネグネと曲がるのでどっちに向かっているのか段々と分からなくなっていった。もうガーミンに頼るしかない。路地の激坂を登り、下ると、突然、モノレールが現れた。少し進むと、大通りが見えた。

 

国際通りだ!

 

ゴールの宿は国際通りにある。突然のゴールに面食らった。大通りに出るとホテルの看板がすぐに目に入って、僕はガーミンのログを停止した。ゴールだ。時計は19時45分。ずいぶんと追い込まれた。

 

ホテルの地下に自転車を止めて、シャワーを浴び、荷物を片づけた。ホテルの外にいくと、ネットの友達がついていたので二人で飲み会を開き、22時半には引き上げ。23時には寝ていた。翌日の午前の自由時間は運転することもないのでホテルでオリオンビールを飲みまくって、取引先のみなさんと昼食をとった。夜の20時頃には会社で解散。

 

 

あれだけ昼飯を食ったのに、夕飯を食おうみんな!と社長がいい始めた。会社員とはかわいそうなもので、それに付き合っていこうという人たちが哀れだった。後継者たる僕はそれを断った。眠かったのだ。それに何より大事なことだが、翌日の夜、僕はヨーロッパ旅行に旅立つ。

 

疲れた体をどうにか癒さないと次のハードな旅に体がついていかない。先に決まっていた話に社員旅行を重ねてきたわけだから、文句を言われても困る。そんな分かり切ったことをも理解せず、不愉快そうに社長は夕食を食べにいった。

 

 数か月後、予定の行き違いから社長と揉めることがあり専務らと話す機会があった。その際に、この一件が良くなかったことを文句を言われた。なら言い始めたときにダメだと言えばいい。さらに年末の社内ゴルフコンペを断ったのも文句を言われた、コミケ当日の休日に予定を後から入れられてもね。

 

みんな好きなことをしていこうぜ!