おにいさんの手帳

ブラック企業のオーナーを辞めて職探ししてるところから始まります

ねむれないので

眠れないので英語のジョークでも読んでみようと思ったけど、そんな気分でもないので文字を打って眠気を作ることにしようかなと。

 

僕には付き合って半年ほどたつ2歳年下の彼女がいます。小説っぽく書き出すと

I was riding the mount nearby my house .then I met her.

She said...to me....

みたいな感じになる。

 

僕が2010歳の夏、22歳の頃、一言で言うと彼女に振られた。自分から別れたいと何度も思ったけど”看病”に費やした努力をゼロにするのが怖くて長々と関係が続いた。振られた時は、自分にとって苦悩が多い時期だった。振られただけならよかったけど、僕の周囲の人間関係を大いに掻き回して苦悩を増やして消えていった。

別れたことに後悔は一切ない、むしろ望んでいたことだった。ただ、最後の一件が為に、長い年月酷く引きずった。そして人に自ら何かを期待するのをやめた、好きな人には特に。

 

それから5年弱、何もなかったといえばウソになるけど、概ね何もなく過ごし、ひたすらに旅とゲームとオタクに時間を費やした。2014年の冬コミの後、大学のサークルのみんなで飲み会を開いた。20人以上が集い思い出話にも花が咲いた。ふと、後輩の女の子が「せんぱーい、まだひきずってるんですかー?」と言ってきた。

 

個人的には完全に冗談話の身内ネタにまでなっていたけど冗談めいて「傷跡ぐらいのるわ!」と笑った。遠くから「もう4年はたってるんですよwwwもうwww」と馬鹿笑いが聞こえてきてハッとなった。もうそんなにたったのか。自然と「そろそろ動き出すかねー」と口に出た。

 

群馬での悪い兄ちゃんみたいな人が彼女を作ったという話もあった。2014年はそれなりの女性に縁はあり、自転車でよく走りに行ったりしていたものの、私が「女はお断りだ」というところがあったので特に何も無かった。何か好意的な言葉があっても、膝にナイフを突き立てて正気を取り戻す、そのような感じがあった。

 

単純に女性というものに嫌悪感と言わないでも警戒感や不信感を強く抱いていた。2010年の事件だけではなく、女性職場でそれなりに不愉快な目にあったからでもある。そんな私に特に距離を置くでもなくフォローをしてくれていた男女含めた友人らに、今ふと感謝の感情を抱いた。それはそれとして。

 

積極的ではないけど、縁があったなら付き合ってみてもいいのではないか。そう思うようになった。でも別に急ぐ必要もどこにもなかった。いなかったらいなかったでやることはたくさんあるのだから。

 

それから8カ月が経とうかとしていた。7月から沖縄を自転車で1周し、欧州を旅し、台湾を旅し、八ヶ岳を登りとすでに「女のことなど忘れ」山という新たな領域にまで足を踏み込んでいた。今年もこのまま何も起こらないだろうと当然思っていた。ネットでも何人か出会い自体はあったけど、ただの趣味仲間に留まっていた。

 

そんなときに交通事故で入院していた”相棒”が退院してきた。彼の自転車は事故で大破したのでリハビリの為に僕のスペアバイクを化すことになった。聞くところによると弟子とライドにいくそうだ。

 

興味がわいた。

 

その相棒、といってももう40歳のおじさんだ。出会いは3年以上前になる。僕が東京にいた頃で彼は群馬にいた。自転車の方向性がなんとなく似ていて、価値観が似ているところがある。僕が帰省すると山を一緒に何度か走っていた。彼はストイックで、性格も協調性があるとはいいがたいところがある。1匹狼に近い部類だろう。

 

ただ、群馬に来てからは地盤が東京にある私を気遣ってか色々な人や団体を紹介して貰っている。いろんな意味でキャリアが上なのだが、時たま不愉快な言動もちょこちょこ出てくる。腹に据えかねて私が怒ることもあるけど、付き合っていたほうが結局面白いことが起きるので一緒にいる。けど、やっぱり合わない人にはとことん合わない人だろう。・・合わない人のほうが多いんじゃないだろうか。

 

そんな人に弟子?しかも女?

 

その時は彼への関心からフェイスブックをたどり彼女をたどってみた。写真、住んでいる場所、などなんとなく分かったけどよくわからない。単純に彼女に会ってみたいと思ったし、その機会はすぐに来た。久々に彼女を新たに加えた5人で高崎の観音山を夜連しようという話がでたのだ。

 

27日、仕事を終えて集合の高崎駅のコンビニ前で夕食のおにぎりを食べていると、1人の女性が現れた。思ったより小柄で、ヘルメットやアイウェアをしているから分かりにくいけど、かわいいとも美人とも言える子だなと思った。髪を撫でたいな、頭を撫でたいな。と思った。

 

「えっと、どなたでしたっけ?」と聞かれた。あぁそうだ、彼女にとって初対面は他にも1人いるんだった。名前を告げた。自分は人見知りのほうだし、手探りだったからそれ以降何を話したかよく覚えてない。徐々に人が集まりだして、会話が転がり始める。

 

僕の関心は彼女だけになった。走りながら彼女がどんな話をしているのかずっと気になった。白衣観音で休憩していたとき、彼女が僕に目を合わせてくれないし言葉を交わしてくれないので、不安になった。とにかく印象を残して貰おうと思って、アクロバティックに写真を撮ったし、単純に彼女の写真が欲しかった。

 

山から高崎駅に戻ってくると、そこから1時間程度の立ち話になって、それは彼女とか関係なくとても楽しい時間だったことをよく覚えている。もう23時だということで解散し、僕、彼、彼女は同じ方向に走り出した。彼女はすぐに逆方向に行ってしまったけど、次に会うことはできるのだろうかと焦りと不安を感じた。

 

うちまでは僕と彼は20分ほど一緒の道だった。僕は彼から彼女の情報をもっと知りたかったし、知れば知るほど「ようやく見つけた」そう思った。

 

次に会うことが出来る機会も数日後にすぐに訪れた。30日、日中に彼とチームのライドに行った後に、私は彼女と2人きりでご飯を食べることになった。その段階で、実は付き合いたいか、まだ悩んでいた。相手が、というより自分の心への疑問だった。

 

腹は決まっていたけど、優柔不断だった。書いてこなかった今までのことが何かと心を邪魔した。ただ、その書いてこなかった中で、自分が「好き」と思っている状態がどのようなものであるかを理解してきた。今までの苦しみも無駄ではなかった。

 

私服の彼女と駐車場で出会ってその姿を見たとき、自分の心に彼女のことを明確に好きだと認めることにした。

 

翌日の31日、高崎で彼と彼女が飲むというやりとりを見て、割り入りたいと思った。2人は恋愛関係でないとしても、それ以上親密になってもらっては困ると焦った。この人間にも人並みに嫉妬心や独占欲とうものがあるらしい。昨日、彼女が山を一緒に走った他の男性のことを口にしていたのが気になって仕方がなかった。何より1刻も早く会いたいと思った。その日の彼女はとても酔っていて、陽気でとてもかわいかった。

 

9月1日という日、その何週間前から大変難しい仕事に直面していた。初めてのことばかりだったし、何より朝5時半に出社して帰社は21時過ぎというスケジュールが続いていた。納期はゆとり無し。細かい調整や判断、肉体仕事や機械作業、測量と目白押しだった。

 

前日飲み終わったあと、そのまま車中泊をして酔いを覚ましてからそのまま、その日も朝5時半すぎに出社した。

 

もう彼女のことで頭がいっぱいになっていた。仕事が落ち着いたら・・と思っても、その間に何かがあっては・・と思ったりするし、そもそも相手は僕のことなどなんとも思っていまいと冷静になろうとしたり、lineなどのやりとりから情報を得ようと必死だった。もう心を痛めたくないというのがあったのは事実だったし、脈があったとしても早すぎるのではとも思っていた。なんたって出会ってから1週間も経ってないのだから。

 

長い長い葛藤の末、もう真っ暗になった田舎道を走るバンの「車に酔った」からと助手席の窓を開けて青ざめている職長の後ろの席で寒さに震えながら「直接会っていうことだけど・・」と約10年ぶりに切りだした。

 

幸運なことに、答えは「スクリーンショットで保存したからね!」だった。

 

それから見限られてもおかしくないような日々を過ごした。いつ振られるのか毎日が心配だった。「話があるんだけど」「ちょっといい?」というLineの文面を見るたびに神に祈った。幸せなことに、いつも些細なことが続いた。

 

一緒に住もう。という話をしたときに、すんなりと話が進んだときは嬉しかったし、なにより安心した。いつの間にか、彼女のことを疑う・・正確にはいつ僕を要らないと言われるのかをあまり心配をしなくなったことに気づいた。ささやかな指輪を交換した時も、僕は迷わずに左手の指につけた。

 

僕らの問題が上手く解決していくように、自分の父の母に対する振る舞いのようにならないように気を付けながら、愉快な日々が待っていることを祈って。

 

・・さすがにちょっと、眠くなってきたから、寝るよ。